社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

2019.11.07~11.11 「現代ビジネス」U氏に宛てたメール

Ⅴ 2019.11.11

昨日の「現代ビジネス」皇室記事、読みました。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191110-00068337-gendaibiz-soci

これほど醜い記事(正確には醜いのは「記事」そのものではなく、記事の齎す「現象」)は、そうそう見当たりませんね。あっぱれ、と言いたいほどです(笑)。

「現代ビジネス」は、右から左まで、節操がないことが、長所だと思っています。だから、こんな記事があっても良いのではないか、と思います。

ただ、僕が懸念するのは、(杞憂だとは思うのですが)メディアの影響力というのは、とんでもなく大きいのかも知れない、ということ。

秋篠宮家叩きだけではなく、上皇叩きまで及んできたわけですね。確かに、秋篠宮家全員、僕個人的には嫌な奴、と言う想いがあるし、美智子さんに対しても、この記者の指摘と、同じような想いを感じ取っています。

それがストレートに書かれるような文化自体は、否定しません。

記事の一部を抄出します。

>、、、、そんな(青山注:新天皇の皇太子時代に、皇太子一家、特に雅子さんを愚弄し続けてきたような)記者が「弱者に寄り添う」などという記事を書いても私は信用できません。
>新天皇が即位した今、このような記者はいなくなったそうです。みんな「両陛下万歳」「雅子さん大好き」だそうです。しかし、もし仮に彼らが「一番上の人だから当たり前」のような気持ちでいるのなら、手のひら返しもいいところであり、中身のない称賛報道がまた繰り返されるだけではないでしょうか。前天皇夫妻はあまりにも称賛されすぎたと思います。

この記事を書かれた大木記者のこの意見自体は、僕の意見と完全に(100%)一致します。

しかしです。

結果として、彼(大木記者)が言っていることは、そのまま、裏返しの「意図」を持つことになるのではないかと。「皆が特定の対象を崇拝し、特定の対象を排除することに対する懸念」「その特定の対象が、多勢の同調によって容易に移り変わることへの懸念」を言っているのではないかと思うのですが、結果は見事に、その懸念を肯定的に体現してしまっている訳です。

ちょうど、ローリング・ストーン誌が、「カウンター・カルチャー的(魂の)音楽」への、一方的賛美(そこに乗り遅れたものはクズとして扱う)を行い、それを大衆に「同調」させることで、本来ならば既存の文化への抵抗のはずが、結果としてそれ自体が巨大な権力になってしまっている、、、ことと同様に。
*「社会の窓から」“エルヴィスとビートルズのはざまで~ジョニー・ティロットソンの時代”「フレディとドゥリーマーズ」
*「青山潤三の世界・あや子版」“エルヴィスとビートルズのはざまで~ジョニー・ティロットソンの時代”の「ローリング・ストーンズ誌」などに関する記事(今探し出すことが困難なので、機会を改めて示します)。

それは、この大木記者の記事に対するコメント群を見渡してもわかります。

新天皇と雅子さんへの、(僕には度を越したと感じる)賛美の一方、上皇ご夫婦と秋篠宮家への、露骨な批判。そのような意図を前面に押し挙げたうえで、「素晴らしい記事」と賞賛する。

底知れぬ怖さを感じるのです。

むろん、ヤフー・ニュースのコメントなどは、日本国民のごく一部の感想なのでしょうが、彼らの常用する「私たち日本国民の総意」を代弁してくれる、という表現は、冗談ではなくて、「必ずしもそこまでは思っていない人にも、そう思い込ませる」強大な力を持っているように思えます。

僕は、枝野さんの党(党名忘れた)は好きじゃないし、特に何人かの著名女性幹部は、体質的に苦手です。しかし、言っていること自体には結構共感を覚えます。

例えば、“2番じゃいけないのですか?”
これ、凄いバッシングされましたよね。でも、僕は、核心を突いた言葉だと思います。

人類(現代人類、あるいは日本人、と言うべき?)に共通の傾向だと思うのですが、今の時点での(共通認識としての)「一番」を尊ぶ方向性。口では「上級国民」とか批判しているわけですが、実のところは「上」(ことに一番上)にのみ、価値を見つけ出している。

現天皇への賛美(賛美自体はともかく、他を貶める度を超えた賛美)もそうですが、現首相への賛美もそうです。総理大臣が一番で、それ以外の人に対しては、(たとえ副総理/与党総裁/与党幹事長/官房長官/外務大臣、、、等々の要職にある人に対してさえ)「首相に成れなかった人」という見方をしてしまう。トップだけが価値がある、という、僕には不思議としか思えない価値観を、多くの人が共有しているように思えます。

ビルボード#1ヒットへの、特別な価値づけ(2位以下は無視)。
2000本打ったバッターが持て囃されるのに対し、1900本以下の選手へのリスペクトの少なさ。 

法や科学に対する盲信。むろん「日本人凄い」や「香港正義」なども含めて、、、、。一昨日のメールでも話したように、人間を含めた生物には、「皆と同じ行動をとる(思考をする)事によって生き残る事が出来る」という遺伝子が組み込まれているのかも知れませんね(日本人の遺伝子には特に、笑)。

「個が生き残る」ことと、「種が生き残る」ことの条件は、正反対だと思います。見知らぬ人が現れたとき、殺される可能性があったとしても、誰かが対応しなければ、先がありません。それを出来なくしているのが メディアの存在のような気がします。

最後に、最近のニュースで最も心に響いたのは、旧西ドイツに移住した旧東ドイツ住民の多くが、今、旧東ドイツにUターンする現象が起こりつつある、という記事。そして、壁の崩壊時に、いち早く移住を希望したのは、高学歴の若年層だった、という事。

ちなみに、天安門事件も、同じ年に発生しているのですね。ちょっと感慨深いです。

香港は、いよいよ、柴玲さん(天安門事件の女性リーダーで、香港経由でアメリカに出国し、今は贅沢に暮らしている、僕も間接的に関わり有り)の「流血を期待していた(それにより世界にアピールできる)」状況になりつつあります。

今回は、あの時と違い、マスメディアの目に晒されています。だからこそ(ここ強調です!!!!)、メディアの責任は大きいのです。

言い換えれば、あの時よりも、(「材料=犠牲者?と認定し得る存在」さえあれば)同調の「空気」を作り上げるのは、ずっと簡単、ということです。

なにしろ、天安門事件の時、日本からの留学生たちは、明らかに改革派学生の運動を支持していたわけで、その人達が、ちょうど今、各メディアの「中国関係記事」の責任者的立場になっているわけですから、、、。

何度も引用しますが、“あの時の海老”さんの言われる、「日本の最大の欠点は、言論(報道、拡散)の自由がある事」は、本当に的を得た指摘だと思っています。

案外、自由の規制が一律にかけられている状態のほうが、力を持った側によって、どちらか一方の自由が突出して成されるのではなく、冷静に、深い所での自由を選ぶことが出来るのではないだろうか、と考えたりします*。

香港の「民主的」若者たちも、中国の共産党政権下に生きる人々も、もしかすると、トランプもプーチンも、ISISやヒットラーさえも、基本的には「いい人」なのだろうと、僕は思っています。

しかし、いかに「いい人」たちであっても、一つに「答え」を求めると、碌なことに成り兼ねません。それを制御するのが、メディアの役割なのではないでしょうか?

その時々のメディアさえしっかりしていれば、ナチスの虐殺も、太平洋戦争も、起こらなかった可能性があるのではないだろうか、と思ったりもするのです。

*勘違いされると困るので補足しておくと、僕はバランス(安定)を推奨しているわけでは有りません。±全部ひっくるめた「不安定」状態の中でこそ、道が開ける、と考えています。

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Ⅳ 2019.11.10

今日は、香港島の中心部で大規模な動きがあることでしょうし、行こうかどうか迷ったのですが、、、、僕のスタンス[出来る限り客観的に外側から見つめる]を崩さないためにも、あえて止めることにしました。

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ここ数日(日本を発つ前に)、結構深い会話を交わした人、青梅市役所のAさん、職業安定所のOさん、福生公立病院事務局長のIさん(いずれも40~50歳代の男性)、みんなとても良い方で、基本的な考え方・価値観も、僕と似通っているように感じました。

飛行機の隣席(日本人が隣席になることは非常に稀)になった、サッカー応援のためサウジアラビアに向かう途中(香港でトランスファー)の東京の男子大学生2人とも、いろいろ話しました。香港デモや韓国問題についても、非常に客観的に捉えていて、やはり基本的な部分では僕と余り変わらないことに、ちょっと驚きました。日本人も、なかなか捨てたものではない、と(笑)。*野球の魅力とサッカーの魅力の違いについて議論した、、、なぜ若者はサッカーに熱中するのか、その理由が、ちょっとだけ分かったような気がします。

メールで連絡を取り合ってる友子さんの父上(87歳)とか、チエちゃんとかもそうですが、少なくても僕と僕の周りの人達との間には、大きな意見の相違はありません。

なのに、インターネットを開くと、ニュース自体も、読者のコメントも、余りに僕の想いとかけ離れたものばかり、、、、。これは、一体どういうことなのでしょうか? なにか「インターネット」というシステムそのものに、問題が潜んでいるような気がしてなりません。

一人一人の想いよりも、メディアを介した「情報」のほうが「事実」であると、、、、。

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僕は、個人的感性においては、天皇のほうが好きで秋篠宮は苦手なのですが、、、、(笑)。
この、ネット上における、天皇皇后賛美と、秋篠宮家叩きの極端な落差は、いったい何なんでしょうか?

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香港デモについて一言。情報戦の様相を呈してきましたね。

全く関係ない話から。何の話題だったか覚えていないのですが、あるネットニュースのコメントに対し、「特攻隊を賛美する人がいるなんて驚いた!」というリコメントがありました。それに対して、青ポチ(そうは思わない)がドサッと。今の日本の大勢は「特攻隊」賛美、という事なんでしょうか?

と、↑を書いたあとに別のニュースを見たら、天皇陛下退出時の「万歳三唱」の話題が。伊吹さんの正式な三唱の後に、録音テープで延々と万歳三唱の連呼が続いたと。この出来事に対し、意外にもほぼ全てのコメント(ただ一例を除く)が、「まるで戦前の御前放送みたい、気持ち悪い」と、不快感を示している。結構、みんな(たぶん右寄りの人達も)冷静なのですね。ちょっと安心しました。

でも、プラットホーム(?)が異なると、反応もどちらか一方に偏ってしまうみたいです。試しに同じ内容の意見を複数のコラムに投稿*してみたら、互いに全く異なる(正反対を含む)結果が出たこともあります。

それぞれに何らかの別のバイアスが連動して、自然にそうなってしまうのか、そのバイアスが意図的にかけられているのか、、、、。

自分のコメントに対し「そう思う」「そうは思わない」が0対20というのも落ち込みますが、と言って、20対0というのも(一応嬉しいことは嬉しいけれど)なんだかなぁ~、という気がしてきます。21対19(←*のひとつ)ぐらいが、健全なのではないでしょうか。

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Ⅲ 2019.11.9

情報の提供、有難うございます。

実は、この香港デモ死亡者の一連の記事に関しては、僕もあちこちにコメント入れまくってます。なんか「有識者(政治学者?)」が頓珍漢なこと書いてて、思わず笑ってしまいました。

ほかに大したニュースがない、というのは、重要な情報だと思います。香港には、17日か25日に行って、また香港大学の哲学教授氏とお茶でも飲んでこようと考えています。

香港デモとは全く関係ないのですが、ヤフー・ニュースを読んでいたら、
「ニューギニアの高地で“悪霊駆除の為の生贄”にされそうになった少年が外国人に助けられて国外に逃れ、成人してから故郷に戻ったら、温かく歓迎してくれた」
と言う記事や、
「インドの田舎で、カーストの異なる男女が駆け落ちして、その後幸せな家庭を作って村に戻ったら、“名誉殺人”で親族に殺されてしまった」
とか、訳の分からない記事が山ほどありました。

僕が今、最も興味があるのは「虐め」の問題(虐め問題の本質について)なのだけれど、なんか、バカな人類に関わることを考えるのは、あほらしくなってきます。そろそろ見切りを付けようかと。

来年は何とかお金を稼いで、体調を整えて、アジサイとかヒグラシとかモンシロチョウとかの、フィールドでの活動に取り組みたいです(人類が滅亡する前に記録して残しておく)。

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Ⅱ  2019.11.8

今回の中国行は、Wi-Fiが使える自室に籠って、記事を纏めるのが目的です。

ただ、出来れば一回は、デモの現場を取材しておきたい、と考えています(原則として、もう「現場取材」には左程意味がない、と思ってはいるのですけれど)。

週末に限れば、明日、17日、25日、12月2日。17日か25日かどちらかは、ビザランのために向かいます。それ以外は(経済的な事情で)あと一回しか向かえません。その場合、明日か12月2日(この場合は深圳に2連泊)のどちらかになります。

もし何らかの情報や直感などがおありでしたら、どんな情報や勘でも構いません、ご教示頂けないでしょうか?

もし外れたとしても、一切責任問いませんので(笑)。

「今のところ特に何もない」「分からない・知らない」という事ならば、それもそれで一つの情報なので(一応、明日も暴動が起こるという情報は入ってるのですが、それとのバランスで考えたいと思ってます)。

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Ⅰ 2019.11.7

>全く見知らぬ「人種」(?)とかがやってきた。誰かがその人に対応した。殺されてしまった(相手は最初からその気だったので)。

普遍的な解釈で言えば、「リスク」の存在、ということですよね。生き延びるためには、日常を良しとし、非日常を避ける。異質の排除。知らない人に声をかけない(助けない)。まさに日本ですね。

それによって、日本は、世界のどこよりも、安全で、平和で、(ドメスティックに在るという前提で)自由な国となり得たわけです。

「もしかするとあの時の海老」さんの言葉を借りれば、「美しい日本は美しいままで終わる」ということでしょう。それはそれで素晴らしい事だと思います。

でも、本当に日本の将来を考えるならば、(例に挙げた設問に対し)「なるほど」で済まされることではない、と思っています(香港問題も同様です)。

繁栄(個の問題)と進化(種の問題)は対極にある、ということです。