社会の窓から

社会の窓を開け放ち、世界の人々と交わろう。

日記2019.9.28/夢の中に(Roy Orbison 「In Dreams」1963)/垂水-東垂水-滝の茶屋-塩屋-須磨浦公園-須磨

三世が「社会の窓から」の読者の訪問数をチェックしたしたところ、「香港デモ」関連以外の記事(「エルヴィスと~」や「ギリシャの蝶シリーズ」など)では、訪問者数が激減している、ということが判明しました。それで、これはマズいと、「今後“香港デモ”関連以外の記事は別の所に載せていく」ことにし、前回、そう報告しました。

でも、今のところそのままです。それ以前の記事の訂正も、何度お願いをしても、直してくれない。最初のコラム「民度と優しさは~」の写真キャプションだって、「“韓国うどん”が“慣行うどん”になってるから直して!」と10回以上言っているのに、そしてもう何度も「直しました!」と返事貰ってるのに、まだ直ってない。「空港デモ」の写真も、左右に押しつぶされたのがあって、これも10回以上言ってるけれど、直っていません。他にも、例えば行がくっ付いていたりずれていたり、見栄えが良くないこと、この上もないです。

僕:「早く治してよ」。三世:「そのまま記事を貼り付けるのは楽だけれど、後から訂正するのは大変なんですよ!訂正しなくてもいいように最初から直しておいてください」。

そんなこと言われても、貼り付けた後のアクシデントなんだから、最初に分かる訳がない。

一応、三世のためにフォローしておくと、いろいろと忙しかったり、精神的に落ち込んでたりで、面倒な作業をするのが大変だとは思うのですが、、、。三世にもう少し余裕が出来たら、頑張って貰ってビジュアル的に整えたいと思っています。

まあそんなわけで、三世の気が変わるまで、とりあえずいろんな記事ごちゃまぜで進めていきます。

山陽電車の住田至朗氏の記事の続きです。三世の故郷の姫路郊外からスタートして、僕の故郷の神戸の垂水区に辿り着きました。

でも、記事とそのコメントを読むのを楽しみにしていたのに、途中からヤフーニュースのコメント欄が消えてしまっている。

たしかに悪意あるコメントが余りに多くて、作者や編集者も傷ついていることと思います。でも、励ましのコメントもそれなりにあるのです。

僕は一応このコラムのファンなので、一言作者または編集部に批判をしておきたいと思います。コメントを途中から遮断してしまえば、結局のところ「読者を無視して自分の言いたいことだけを書いている」という“悪意あるコメント”に同意してしまうことになるのではないかと。

悪意ある批判コメントにめげず、飄々と書き進められていた印象があったので、勿体ないです。ちなみに、一昨日あたりから、ヤフーでの紹介も消えてしまったようで、、、。それで、オリジナル記事を読んでいます。

一昨日は、舞子公園-霞ヶ丘(旧・歌敷山)-垂水。昨日が東垂水-滝の茶屋-塩屋。今日は、須磨浦公園-須磨-須磨寺。明日がたぶん、月見山-東須磨-板宿かな。

楽しみにしていたコメント投稿が直接出来なったので、「社会の窓から」に昔(60年前!)の思い出を書くことにしました。

滝の茶屋~須磨を利用していたのは、幼稚園の頃からなので、1950年代前半からです。そのあと、中学生になってからは(1960年代前半)は、滝の茶屋~塩屋(JRに乗り換えて摂津本山および芦屋)。

小学生になってからはともかく、幼稚園児の頃、どうやって須磨まで行っていたのでしょか?(母か、お手伝いさんの上田の婆やに送ってもらってたのではないかと思われます)。

ただ、中学校以降は、わざわざ山陽電車に乗る(滝の茶屋駅は家から姫路寄りに少し戻る)のも面倒なので、塩屋駅まで歩いてJRだけを利用することのほうが多かったような気がします。

逆に時たま、JRに乗らずに、高速神戸・三宮を経由して、岡本か芦屋(阪急)または芦屋川(阪神)というパターンもあったようです。

そこら辺のことは余り記憶に残っていません(僕は記憶力が弱くてすぐ1~2年前のことさえ忘れてしまう)。もっとも、同じころ夢中だったアメリカン・ポップス絡みのことはよく覚えているのですが(笑)。後述するように、夢はしょっちゅう見ます。

覚えているのは、滝の茶屋駅の上りプラットホーム。神戸寄りの壁に穴が開いていて、改札を通らずにいつも(僕だけでなく大勢の利用者が)そこから入っていたこと。とにかく朝の電車が混んで(特に滝の茶屋~塩屋間)、余りの込み具合に、しょっちゅう車内の窓が割れていたこと。この時代から、「押し込み」のアルバイト(駅員?)がいたように思います。

その後、東京に出てからは、たまにしか乗らなくなってしまいました。ほとんど最後の辺りの利用が、阪神淡路大震災のあと。

僕の実家は神戸の西部で、震源地には最も近かったのだけれど、被害は少ない方でした。少ないとは言っても、天井の一部が落ちてきたり、家の前の道が陥没したりと、それなりに大変でした。

中国に通い始めて5年目くらい、冬の間は日本にいることが多くて、その時も東京(神奈川県鎌倉)にいました。昼前に、友子さんからの電話で、地震を知らされたのです。電話をかけても、もちろん繋がりません。高齢の母は心臓手術の後で病院に入院中だったので、これはもうダメだろうと諦めていました(実は直前に退院していて実家に戻っていたのですが、その病院は全壊してしまったそうです)。夕方、公衆電話から、無事を知らせる報告がありました。

また、知り合いの記者(たしか共同通信)から電話があって、「君の地元なので取材に行ってみないか」と打診があったのですが、行く手段もないし(その時カメラも質に入っていたし、笑)、断念しました。

それ以前に、僕には、一つの信念(というほど大袈裟なものではないですが)があったのです。報道の在り方(安易な報道写真)に対する根本的な疑問で、今もその想いは変わりません。そのことは、数年後に「神戸新聞」の連載記事で執筆したので、そのうち探し出して紹介します。

結局、僕自身はずっと東京にいて、毎日ラジオで状況をチェックしていました。ちょうど、ひと月ほど立った頃(1994年の春)、屋久島かどこかに行く途中、神戸の実家に寄ってみることにしました。

そのきっかけになったのは、「山陽電鉄が滝の茶屋駅まで復活した」というラジオからの情報です。しかしそれは僕の聴き間違えであることが、大阪駅について分かりました。復活したのは、神戸方面から滝の茶屋駅までの区間ではなく、姫路寄りの区間だったのです。

それで、福知山線で三田まで行き、神戸電鉄を利用することにしました。鈴蘭台の先の丸山(あるいは鵯越?)までは開通していましたが、そこからは歩いてJR兵庫駅へ。開通していたJRで塩屋駅に着くことが出来ました。

震災の日からひと月が経っていたのだけれど、悲惨な状況は発生直後と左程変わっていなかったようです。強く印象に残っているのは、隣り合って並ぶJRと山陽電鉄の塩屋駅が、正反対の状況だったこと。JR塩屋駅は何ともないのに、山陽塩屋駅はペッちゃんこに潰れていました(長期間かかった改修工事現場を撮影しています)。地震の被害の程度と地盤(活断層)の相関性を、正に知ったわけです。ちなみに、実家の下を走る山陽電鉄の線路(塩屋~滝の茶屋間)も、ぐにゃぐにゃに曲がっていました。 

それから、25年が経ったわけですね。成人してから50年が経つわけですが、山陽電鉄を利用していたのは主に前半の25年で、震災以降は、ほとんど利用していません。

夢に出てくるのは、主に40~60年ほど前の光景のようです。

実はこの文章の一部は、住田氏のコラムのスタート後しばらくして、「滝の茶屋に来たらコメントを入れよう」と思って書き溜めていたものなのですが、さっき、昨日と今日の記事チェックして、それに対する感想も付け加えておこうと思ったのです。

改めて写真を見て、びっくりしました。夢に何度も繰り返し見てきた、東垂水駅も滝の茶屋駅も塩屋駅も須磨浦公園駅も、それから須磨駅のプラットホームとか引き込み線とかも、面影がそのまんま残っているんですよね。

夢って不思議です。最近見た夢は大抵忘れていても、突然、何十年も前に見た夢を思い出す。それも同じパターン(現場)の夢を、複数回繰り返し見ているような、、、。夢の中に“疑似現実世界”が、現実の世界とは別個に存在しているのではないか、と想ったりもします。

例えば、屋久島とか、その周辺の三島列島・トカラ列島とかは、夢に何度も出てくるのですが、その風景とか位置関係とかは、実際とは全く異なっているわけです。にもかかわらず、確かに「夢の中での屋久島」というのが、結構詳細な部分まで「実在」している (先月、始めて行ったヨーロッパのエーゲ海の沿岸、何気に夢の中の「屋久島」に似ていました)。

夢の中のハワイ、夢の中のアメリカ、夢の中の中国重慶、、、、全然「実物」とは違ってて、でも確かに「実在」しているのです。

滝の茶屋から垂水に向かって歩いていく夢も、以前良く見ました。どういう訳か、東垂水駅経由ではなく、ずっと上の住宅街を回って、ため池のようなところを下りて行く、同じシュチエーション。

昨日の記事に、滝の茶屋の下りホームからの展望の話が出ていましたね。記事にあるように本当に絶景です。僕も昔、よくボーっと鉄柵の手すりに寄りかかって、正面の紀淡海峡を眺めたものです。ちなみに、記事に「四国」とあるのは、淡路島南部の諭羽鶴(←字間違ってるかも、あとで訂正します)山地との勘違いだと思います。でも年に数回、ちょっと変な天候の時に、その奥に聳える四国剣山地の一角が、幻のように浮かび上がることもあるのですが。

垂水に筒井康隆が住んでいることも書かれていました。彼は、垂水塩屋須磨あたりの、山電JR車窓の夢の話を時々書いていますね。

数日前に僕が見た夢も、舞台が須磨駅から塩屋駅(山電ではなくJR)だったような、、、可愛い女の子が一緒に乗っていて、それが何故か雑誌の編集者で、「どうか僕の原稿を掲載してください」と一生懸命お願いしていました。今置かれている現実が夢の中まで入り込んじゃっています(笑)。

*前回紹介したビーチ・ボーイズの「SUMAHAMA」映像に、実際の須磨海岸が出てきます。バックの三つ並んだ山が、左から鉢伏山248m、旗振山261m、鉄拐山237mです。その左奥が淡路島。JRや山陽電車は鉢伏山の麓を入っています。ちなみに、僕の最も古い記憶の一つが、幼稚園の裏山の鉄拐山登山(たぶん幼稚園の遠足)。頂上付近の急坂を苦しみながら上っている場面。たぶん4~5歳くらいかな?それよりも古い記憶が、母に(何か粗相をして)怒られて、火のついたようにように泣き叫んでいる場面(塩屋駅から滝の茶屋駅の手前の実家に帰る途中の坂道)。おそらく最も古い記憶は、お風呂で、母が膨らんだお腹をさすって「もうすぐ弟が出来るよ」と話している場面。母も僕も凄く嬉しかったのだと思います。今となっては、記憶なのか夢なのか定かではありませんが、すごく辛かった事と、嬉しかった事を覚えているのだと思います。

今日は嬉しい事がありました。友子さん父上から久しぶりにメールが来たのです。もうすぐ87歳になるので、しばらくメールが来ないと、心配してしまいます。

10月1日は、中国は建国70周年の記念日、香港は中秋際、日本は体育の日でしたっけ? そして友子さんの誕生日です(生きていればもう58歳になります)。友子さんの出てくる夢は、以前は辛い夢ばかりだったけれど、最近数年間は、いつも楽しい夢ばかりです。感謝しています。