社会の窓から

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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代 (日記2019.9.22) /「“涙くんさよなら”の謎・外伝~“外国人が把握する日本人の感性”の妥当性」 ②

https://www.youtube.com/watch?v=7ebYQ_WP4Rw
「想い出の須磨浜SUMAHAMA」 UK45位(1979年)
The Beach Boys ビーチ・ボーイズ (Mike Loveマイク・ラブ1941~)

以下、テレビ「何でも探偵団」による紹介記事
https://ameblo.jp/thinkmacgyver/entry-11356692679.html
https://rockokey.exblog.jp/18005927/
https://katamuki.acenumber.com/2012/09/the-beachboys-sumahama.html
http://sumabito.jugem.jp/?eid=24

日本人の言う(しかし僕に言わせれば、日本人がそう思わないだけで、実は結構本質を捉えている)
「勘違い(偽)日本的音楽」の中で、結構有名なのが、このビーチ・ボーイズの(一部のビーチ・ボーイズ・ファンは、ビーチ・ボーイズの歴史から消し去りたいと思っているだろう)最悪評判曲です。

とにかく、コアなBeach Boysファンには、ボロクソに言われています。特にブライアン・ウィルソン信者には。

「何でも探偵団」がテレビで取り上げてから、一躍有名になりました。むろんそれ以前から、知る人は知っていました。1979年(ビーチ・ボーイズとしては最も低迷していた時代)にイギリスのチャートで45位にランクされた、もともとそれなりに有名な曲です。そして、スマハマ(神戸須磨海水浴場)は、僕の故郷です。

ビーチ・ボーイズは、今年でデビュー58年目。3兄弟と従兄、および長兄のクラスメ-トという、ファミリー・グループです。兄弟の真ん中と末弟は既に故人ですが、年長の3人は今も現役です。デビュー数年目から、互いに喧嘩を繰り返し、何度も裁判を引き起こしたりして、それぞれ別個に活動しながら、時折「再結成」もするという、不思議な関係を保っています。

長兄でリーダーのブライアン・ウイルソン(1942~)は、正真正銘の天才で、かつ、本物のキ○ガ○です(何度も精神病院に入っている)。デビュー数年目から、ライブなどには出ずに、引き籠って曲作りに励んでいました。

1966年、作成途上で、いろいろと軋轢があって(あまりに前衛的過ぎてレコード会社が拒否したと言われています)発売中止になった幻のアルバム「スマイル」を、21世紀に入ってから完成させました。

現在でも、独自の作品を(リスナーによっては難解でよくわからないだろうけれど、多くの信者から絶大な支持を得て)制作し続けています。

ちなみに、ライバルと言ってよいビートルズのポール・マッカトニーは、「スマイル」の制作現場に出会わせて衝撃を受け、ブライアンに負けたくない、という一心で、その後の名作を創り続けた、と言われています。

その2年前の1964年、ブライアンがライブから引っ込んだ際、一時正式メンバーとして代役を務めたのが、後にC&W界の大スターとなった、グレン・キャンベル(1938~2016)です。キャンベルのライブ は、むろんカントリー音楽で構成されていますが、中間辺りに「僕は昔ビーチ・ボーイズだったんだ」で始まるビーチ・ボーイズ・メロディーのコーナーが、「お約束」で設置されています。

60年代末以降は、新時代の波に押されて低迷期が続きます。ある時は、イメージをかなぐり捨てて、 サイケデリックな音楽を取り入れたり、正式メンバーに南アフリカ出身の黒人2人を加えたりします。彼らはビーチ・ボーイズ脱退後、一人は、最も有名な「偽ビートルズ」のメンバーの一員として、一人はローリング・ストーンズのサポートメンバーとして、3大グループをクロス・オーバーするように活動しています(近年もビーチ・ボーイズの3人それぞれのライブにゲストとして登場したりもしている)。

かように、ビーチ・ボーイズの音楽は、「何でもあり」の、ごちゃまぜ音楽なのです。許より、最も保守的とも言えるスタイルの「フォー・フレッシュメン」のハーモニーと、黒人ロックの先駆者「チャック・ベリー」のリズム、すなわち「水と油」の融合でスタートしたわけですから。

結成当初から、作曲はブライアン、作詞とメインボーカルは、従兄で1つ歳上のマイク・ラブが担当していました。メンバーの中での露出度は、圧倒的にマイクが突出していました(なんせブライアンは、露出さえしていなかったわけですし)。本来なら「マイク・ラブandザ・ビーチ・ボーイズ」としても良いほどです(事実、同じようなメンバー構成の、アメリカでのライバル・グループ「フォー・シーズンス」の場合は、後年「フランキー・ヴァリandザ・フォー・シーズンス」に、同時期のNo.1黒人女性トリオ「シュプリームス」の場合も、やはり後年「ダイアナ・ロスandザ・シュプリームス」と名乗っていますし)。

マイクがいなければ、ビーチ・ボーイズは絶対に成功はしていなかったでしょう。むろん、天才音楽家のブライアンがいたからこそ、ビートルズと並ぶ、歴史的なアーテイストとしての成功を成し得たわけですが、もし最初からブライアン一人だったら、世間的には無名のまま終わって、なんだか難解な音楽を捏ねくりまわしている、ただの引き籠りジジイ、としてしか認識されなかっただろう可能性も大いにありです。

それはともかく、現実的には、現在ではブライアンの名声が圧倒的に高いことは事実です。「ロ-リングストーン誌」などによる、「20世紀最大のアーティスト」とか、「最高のアルバム」とか、「最も素晴らしい曲」とかには、ブライアンおよび彼の手掛けた曲が、最上位に登場します。そして今も、ファン(というか音楽界)の期待を一身に受けて、新たな曲創りに励んでいます。

最初に、現在では3派に分かれて活動している、と記しました。

オリジナルメンバーのうち、1984年に、兄弟の真ん中のデニス・ウィルソン(ドラマー)が、冬の海で溺れ死にました(ほとんどアル中で自殺に近かったと言われています)。味わい深い声を持ち、味わい深い曲作りもしましたが、音楽的には(1965年にグレン・キャンベルを引き継いで55年間ビーチ・ボーイズのメンバーであり続けたブルース・ジョンストンを加えた6人の中で)最も地味な存在です(ライブには参加せずレコーディングだけ行ったブライアンとは逆に、ライブには出てもレコーディングには参加しなかったことも多い)。しかし、女の子の人気は最も高く、「アイドルグループ」ビーチ・ボーイズの「人気担当」ポジションでした。

1999年には、末弟のカール・ウイルソンが亡くなります。「神のみぞ知る」「グッド・バイブレイション」「サーフズ・アップ」など、ブライアンが気合を込めて創った曲の多くは、カールが唄っています。ブライアン、マイク、デニスと、いずれ劣らぬ変人奇人メンバーの中にあって、最年少のカールは、アルと共に「常識人」 のポジションにいました。ある意味、グループの絆となって、それまでも分裂しかかっていた危機を支えていたものと思われます。しかしカールの死によって、「カールのいないビーチ・ボーイズはビーチ・ボーイズではない」と、アルが脱退を決意したことにより、三分裂してしまうのです。

巨体のカールとは対照的に、小柄でアイドルらしからぬ風貌のアル・ジャーディンは、ある意味、最もビーチ・ボーイズ的な存在であったような気がします。ナンバー・ワン・ヒット曲の「ヘルプ・ミー・ロンダ」や、イギリスで大ヒットした「ゼン・アイ・キッスド・ハー」ほか、多くの曲のリード・ボーカルを担当し、ブライアンやマイクとともに作詞作曲も行っています。三分裂したのちは、前の奥さんとの間の息子や、カールの前の奥さんの弟や、ブライアンの娘さんたちをメンバーに加えたりしながら、「アル・ジャーデンandフレンズ」として、活動を続けています。

三分裂後、「ビーチ・ボーイズ的音楽」とは無関係に、独自の路線を歩み続けているブライアンに対し、アルは、「ビーチ・ボーイズ的スピリット」を凝縮した新曲を組み入れつつ、「進化形ビーチ・ボーイズ」を目指しているように思われます。

その二人とは違って、マイクは、徹底して「昔の」ビーチ・ボーイズを全面的に押し出した「懐メロ路線」を突き進んでいます。ビーチ・ボーイズの(一般的に見て)最もビーチ・ボーイズ的な部分、所謂「サーフィン音楽」や、「夏の海」と「車」と「女の子」といったイメージです。(リアルタイムではごく僅かしかヒット曲がなかった日本では信じがたいのですが)世界的にはビートルズと互角の、圧倒的な人気を誇っていたのです。その「ビーチ・ボーイズ的イメージ」をそのまま受け継いで行われるマイクによる「ビーチ・ボーイズ」のライブは、今でも発表直後にソールドアウトするほどの人気を得ています。かつ「ゲッチャ・バック」とか「ココモ」とか、後年の代表的ヒット曲の多くは、ブライアン抜きで、マイク主導で成された曲です(「スマハマ」もその一つです)。

しかし、音楽の専門家や一部の有名文化人(例えば村上春樹)からのマイクの評価は、圧倒的に低い。
某音楽評論家などは、そこまで言うか、というくらいボロクソにこき下ろしている。僕も、ある程度納得する部分もありますよ。確かにブライアンは革新的で天才的で、マイクはダサくて古い。それは認めます。

しかし、先にも言ったように、ビーチ・ボーイズがメジャーな存在に成り得たのは、マイクによるキャッチ-な歌詞と、マイクの圧倒的なボーカルがあってのものです。彼の存在なくしては、そもそもビーチ・ボーイズそのものが成り立たっていなかったはずです。

ローリング・ストーンズのミック・ジャガーにも、全く同じ同じことが言えますね(その点、先に例を挙げたフォ-シーズンのフランキー・ヴァリや、スープリームスのダイアナ・ロスとは対極)。

でも、評価は正反対。ミック・ジャガーはストーンズの中で飛び抜けた評価と知名度を受けているのに対し、マイク・ラブは評価どころか存在さえ無視されているように感じるところがあります。それは、何故なのでしょうか?

理由の一つは、ビーチ・ボーイズの音楽は、「何でもあり」の「普遍的要素の集大成」であり、誰かがいみじくも言ったように「アメリカの盆踊り」なのです。

マイクがいてもいなくても、ビーチ・ボーイズ的音楽は継承できます。ビーチ・ボーイズにとっては、まず何よりも「ビーチ・ボーイズ的音楽」ありきで、そのパーツとして、ブライアンもマイクもアルもカールも存在する。仮に全員いなくなっても、「ビーチ・ボーイズ的音楽」は永遠に生き残ると思います(その基礎を構築したブライアンは、やはり偉大だったですね)。

そこがローリング・ストーンズとの決定的な差でしょう。ストーンズは、ミック・ジャガーがいなくなれば、お終いです。普遍性とは正反対の「これ一つしかない」という、「ローリング・ストーンズ」としての、デリケートな個性です。 

ビーチ・ボーイズとは反対に、まず個々の個性があって、その集合としてのデリケートな個性である、ローリング・スト-ンズが成り立っています。

あくまでストーンズとしての個性が評価を受けているので、ミックだけではやって行けないし、ミックが欠けてもやっていけません。おそらくキース・リチャードやチャーリー・ワッツが欠けても終了でしょう。あの「お邪魔虫」のビル・ワイマンが脱退したときさえ、「もはやスト-ンズではない」とボブ・ディランに言わしめたように、本当の意味でのローリング・ストーンズは、ミック、キース、チャーリー、ビル、そしてブライアン・ジョーンズが揃ってこそ成り立つのかも知れません。ブライアンが(たぶん薬で)早世した以上、叶わぬ夢ですが、しかし、ブライアンが作り上げた「他にコピーをし得ない“ストーンズ”というブランド」を、今も残ったメンバーで守り続けているのです。

「一代限り」のローリング・スト-ンズ・ブランドとは対照的に、ビーチ・ボーイズは「普遍性」という外に開かれたブランドですから、極論すれば、メンバーが誰であっても、永遠に「アメリカの夏の盆踊り」を続けることが出来ます。

ビーチ・ボーイズの凄いところは、メンバー全員が歌を作り、リードボーカルをとり、なおかつ(デニスを除く)ブライアン、マイク、アル、カール、ブルース(ソングライト)全員が、ナンバー・ワン・ヒットを持っていることです。そして、誰が作った曲も、誰がリードを取った曲も、一聴して「ビーチ・ボーイズ」の曲であることがわかる、、、、。

絶対的な普遍性を齎した、その最大の功労者は、マイクです。ブライアンの芸術性が突き抜けて素晴らしい事に対しては僕も異論はありません。ブライアンが「ビーチ・ボーイズ・ブランド」を作り上げた ことも事実です。でもマイク抜きには、それは無しえなかった(もっとも、絶対的ともいえる普遍性を構築し得た後には、マイクは必要なくなってしまった、と言えなくもないのかも知れませんが)。

高名な作家や評論家や、カウンターカルチャーを標榜する音楽雑誌などが、ブライアンを殊更持ち上げる こと自体は、当然かも知れません。ある作家などは、ブライアンの作品は、バッハとかモーツアルトらクラシック音楽の巨匠に並ぶ歴史的な音楽である、とさえ言います。そのことにも賛同します。

https://www.youtube.com/watch?v=tyOYQ8qfFng
「サーフズ・アップSurf’s Up」 (1971年) *シングル発売されるもヒットチャートには登場せず。
The Beach Boys ビーチ・ボーイズ (Brian Wilsonブライアン・ウィルソン1942~)

ブライアン、渾身の作品です。最初に挙げた「スマハマ」と聴き比べてください。その芸術的な昇華度は、比べようがないです。

しかし、そのことと、「ビーチ・ボーイズの評価」に対する問題は、別次元にあるはずです。彼ら(高名作家や評論家)は、ブライアンを褒め称える一方で、マイクをボロクソに言い、徹底して蔑ずみます。そのこと自体も、「個人的な見解」としては有りでしょう。

問題は、大衆が、ことに「我こそ進歩的」と標榜する「反権力者」たちが、高名作家・評論家やメディアの扇動に流され、みんながみんな同じ方向に寄り集まることで (「少数派」と思い込んでいる本人達は気付いていない) 「巨大な権力=空気」を形成していることです。それに「同調」しない人間は、排除 されていく。

そのような風潮にどっぷりと嵌った「ブライアン命」「マイクボロクソ」の某評論家が、(分裂後一人で音楽活動を行う)ブライアンにインタービューしました。

>昔のように、もしまた誰かと組んで一緒に曲を作るとしたら、誰と組みたいですか?

ブライアンは即答します。
「もちろんマイクだ」

その評論家はびっくりしたようです。当然、いまさらマイクなどとは組もうとは思わず、(難解な芸術的な歌詞を作る)他の何人かの「専門家の評価の高い」作詞家の名が出てくる、と思っていたのでしょうから。

ブライアンは続けます。

「今はマイクが“ビーチ・ボーイズ”なんだ。彼はよくやってくれているよ。感謝している。でも僕はブライアン・ウイルソン、アルはアル・ジャーデン、、、、、。」

本人たちの「軸」はぶれていない。世間が勝手に「偏って(流されて)」いるのです。

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もっとも、マイクが誹謗されるのも、当然かも知れない、と思う部分もあります。7人だか8人だかの元夫人との間の、離婚調停や慰謝料や子供の養育費を稼ぐために、80歳近くになった今も、ビーチ・ボーイズの名を掲げてメインで唄わねばならない。とんでもないジジイです。

音楽界一の変人だとも言われています。でも、「何でも探偵団」の「スマハマ」関連のエピソードでも分かる通り、すごく「いいやつ」でもあるのです。

僕は、1966年の日本(大阪)公演の時、彼らの宿舎の大阪のホテルのロビーでコーヒーを飲みながら本を読んでいたマイクを見つけ、いくつかの質問をしました。突然話しかけてきた無礼な少年の問に対しても、ちゃんと答えてくれました。

今思えば本当に失礼な質問でしたが、
>ローリング・ストーンズをどう思いますか?
「あいつらはクレージー」

>何の本を読んでいるのですか?
表紙を見せてくれました。
でっかく「SEX」と書かれていました。

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https://www.youtube.com/watch?v=zBHz_V59RpM
「カルフォルニア・コーリングCalifornia Calling」 (1985年)
The Beach Boys ビーチ・ボーイズ

「スマハマ」と「サーフズ・アップ」という、特殊な2曲を紹介しましたが、他に一曲だけこれを紹介しておきます。

デニスが亡くなった後、最初にリリースされたアルバム「The Beach Boys」収録。

ダサくてノー天気な、良くも悪くも、典型的「ビーチ・ボーイズ」な一曲です。アルとマイクの作品で、ブルースを含む残った5人が順番でハモッっています。デニスに代わってドラムを叩いているのは、あのビートルズのリンゴ・スター。

ビーチ・ボーイズは、リアルタイム(人気絶頂の63~66年頃)では、日本でのヒット曲は僅かしかありません。どこか陰のあるビートルズや、エキゾチックなバカラック・サウンドなどとは違って、ひたすら明るい(しかしブライアンの創るメロディには、それらとは異質の「明るさの中の」陰があった)ビーチ・ボーイズ・サウンドは、日本のリスナーには受け入れ難かったのだと思います(そのことは「カントリー的」な要素の強いポップソングが敬遠されたことと、軌を一にします)。

日本でヒットした曲と言えば、「サーフィンUSA」のほかは、日本独自にシングルカットされた「夢のハワイ」ぐらいだと思います。後者はひたすら明るい曲の代表ですが、明るい曲はダメな日本においても、ここまで明るくノー天気だと、リスナーにも受け入れが可能なのかも知れません(例えば、ジョニー・ティロットソンの場合、明るくてもカントリー・ティストに満ちた曲は受け入れられず、ひたすらノー天気に明るい「キューティ・パイ」や「プリンセス・プリンセス」がヒットしたのと同様に)。

「カルフォルニア・コーリング」も、「夢のハワイ」系の、ひたすら明るくノー天気な曲です。シングルで発売していれば、日本でもヒットしただろう、というファンが多いのも頷けます。

その中にあって、「スマハマ」は異質の存在と言えるかも知れませんね。ブライアンによる芸術的な「陰影」とは全く異なる、普遍的とも言ってよい、ある意味開き直った心地良い陰影を感じます。

「このメロディのイメージは日本ではなく中国だ」、という方も多いでしょう。でも、(日本人としての)色眼鏡抜きに、客観的に受け止めれば、実に良く日本的なイメージを捉えている、と、少なくとも僕は思っています。